この列車の成り立ちとしましては
もともとは日本電力、日本発送電による黒部川電源開発のための資材運搬用鉄道であり、かつては便宜的に旅客を扱っていた(当時の切符には生命の保障はしない旨の注意書きがあった)。日本国内では数少ない軌間762mmの特殊狭軌(ナローゲージ)での鉄道路線[1]で、トロッコ列車(オフィシャルな愛称は「トロッコ電車」)を運行している。
1971年7月に関西電力から分社化され、地方鉄道事業の譲渡を受けたもので、現在でも関西電力の100%子会社である。社紋は関西電力の社紋の中にレールの断面を入れたものになっている(欅平駅の画像と公式ページを参照)。
ウィキペディアより
運転手を見れば列車の大きさが想像できます。
本来は工事の資材や作業員の運搬用なので
私は窓のないベンチシートの客車が良かったんですが、かみさんが寒いからと云うので窓付きの客車にしたので、景色とは反対の座席になり写真を撮るのも苦労しました。
今はまだ全線の開通はしてなく、猫又までの折り返し運転です。宇奈月駅を出ますとすぐに新山彦橋を渡ります。
ここを渡るときに旧山彦橋が見られます、この橋は今は遊歩道になっています。
次に見えてくるのが湖面橋です。
ここから少し行くと対岸に宇奈月温泉最奥の湯が有ります。
とちの湯です、すぐ横には砂防ダムのような 大雨の時は少し怖いですね。
少し進むと吊り橋が有りますが、これは人の為ではなく猿の為の吊り橋です。
仏石です、工事の安全を願って作業員の人たちがここを通るたびに手を合わせていたそうです。
次は出平ダムです。
ここを過ぎるとこの日の終点の猫又です、ここからすぐに宇奈月駅まで戻ります。
これから2時間バスに揺られて白川郷に着きます。
先ずは一番の目的の雪の大谷ウォークです。
今年は一番高い所で15メートルの高さでした。
人波が途切れた一瞬に一枚パチリでした。
やはり一番いい時期なので人は多かったですね。
これはミドリガ池?でしょうか
室堂からは立山高原バスで美女平まで50分揺られて行きます。
途中一瞬だけ称名滝が見えます。
走るバスの中からの撮影なのと遠くに見えるので探すのが大変でした。
中央に映っているのが滝です、4段に落ちていました。
美女平からは終点の立山駅まで立山ケーブルカーで移動です。
このケーブルカーは今でも工事用の資材なんかも運ぶための貨車が連結されています。
上に見えるのが客車でその下にある黒いのが貨車です。
ケーブルカーよりも2倍以上の大きさでした。
ここでアルペンルートも終わりです。
ここから富山市内のホテルに移動してこの日の行程は終わりです。
最終日はトロッコ電車からです。
扇沢駅からはトロリーバスで40分かけて黒部第四ダムに向います。
バスと云っても正式には無軌条電車と言います、この関電トンネルトロリーバスで赤沢岳のトンネルの中を黒部ダムまで走ります。
黒部ダムです。
生憎放水はまだやってませんでした。
反対側は
ダムを渡ってからは黒部ケーブルカーで黒部平まで五分で行きます。
反対側からの人が満員で降りてきました、ここでも外国の人ばかりです。
黒部平からの後立山連邦です。
ツアーのため乗り物の乗り換えに時間が無く駆け足で回ります。
ここからは立山ロープウェイで大観峰に行きます、段々標高も高くなり気温もぐっと下がってきます。
ロープウェイから
ここでは遠くの斜面を滑るスキーヤーが数人滑っていました。
かなりの斜面で一人のスキーヤーは転んでいました。
大観峰からの後立山連邦です。
ここからまたトロリーバスで最高地点の室堂に向います。
続きます。
高山市内でも高山祭で有名な中橋の辺りも
赤い橋が中橋です、高山祭のニュースなどでよく見る橋です。
祭りではこんな屋台が出ていて、春の山王祭と秋の八幡祭の二つを総じて高山祭と云うそうです。
そして春と秋では違う屋台を使うようです。
祭り当日は人が多すぎて近くから見るのは難しいそうで、ガイドさんの一押しは祭りの二日から三日前に行くと各辻に屋台が出来ていて近くでゆっくり見ることが出来るそうです。
祭りは春は4月14,15日で、秋は10月9,10日です。
この中橋から3つ目のかじ橋の欄干には足の長い像と
手の長い像が有ります。
像の左に立って居るのは普通のおばさんです。
高山はここまでです、ここを出発してこの日の宿泊地である奥飛騨温泉郷の平湯温泉に行きます。
小倉からは約7時間で飛騨高山に着き、この日の観光はここでの1時間だけです。
ここでは主に古い街並みを散策します。
先ずは高山陣屋です。
当時はお城よりも主にここで政務が行われていたようです。
旧高山町役場です。
続いて古い街並みです。
ここは観光客でごった返していました、そしてその多くは中国、台湾、タイの人たちです。
観光バスの駐車場が有りますが、18台中日本人を乗せた観光バスは2台だけでした。
この通りを歩くと造り酒屋や
ローソク屋ですが燭台も作っています。
そして病院もこんな風になっています、産婦人科のようです。
ラーメン屋の店先には
剥製です。
最初に行ったのは雲仙岳災害記念館がまだすドームです、ここでは館内を一通り見て廻りちかくにある道の駅みずなし本陣ふかえ、に隣接する火砕流による被害を受けた家屋を見て廻りました。
ほとんど埋まってます。
この火砕流では43名の方が亡くなっています、その半数が報道関係の方たちで警察や消防関係の方たちも多くなくなっています。
住民の方たちは避難勧告が出ていたので犠牲者は出ていませんが消防団員などは地元の方たちでした。
本来立ち入り禁止になっていたにもかかわらず報道の方たちが入り込み、住民が避難した後の家屋に入り込んだりしたために警察や消防団が出動せざるを得なくなり災害に巻き込まれたという意見もあるようです。
ここを後にして次に向ったのは島原城です。
場内は撮影禁止なので写真は撮ることが出来ませんでした、続いて城下の武家屋敷に行きました。
ここは3軒が公開されていてそのうちの1軒は修復中だったので2軒だけ見ることが出来ました。
質素な暮らしぶりが窺えました、しかし風呂を備えていたので結構上級武士の住まいだったのではと思われます。
ここを後にして島原名物?の具雑煮を食べて帰路に着くことにしました。
干しシイタケの出汁が効いて美味しかったです。
紅葉を期待して行ったんですが既に峠は越してしまったようで、イチョウはまだ綺麗に色付いていましたが
周りの山々は
です。
で、最初に行ったのが棚田百選にも選ばれた千々石地区の清水棚田で
ここを後にしてから一度雲仙温泉を通り過ぎて仁田峠に向いました。
仁田峠からは妙見岳ロープウェイで山頂まで登り、普賢岳と平成新山を眺め、
黒っぽいのが平成新山で、緑が残っている手前の山が普賢岳です。
さすがに1.000m級の山なのでかなりの寒さで駐車場にはあちこちに雪が残っていました。
かみさんが寒い寒いというので雲仙温泉に向いますが、まだ少し早いので車を旅館に預け旅館の裏手にある雲仙地獄の見学で時間を潰すことにしました。
硫黄の臭いがすごかったです。
理由は分りませんでしたが君の名はに由来する真知子岩と云うのがありました。
そして地獄の外れの方にはキリシタンの殉教の碑がありました。
宿の部屋から見た地獄です。
こんなのが多く有って煙が多く出ている時は国道が煙で見えなくなる事もありました。
ここで宿に戻り一日目は終わりです。