釣れないほうが多いような釣りの話と
小さな家庭菜園のことを中心に
色々なことを紹介していきます
二日目は小浜を抜けて島原方面へと車を走らせました。
最初に行ったのは雲仙岳災害記念館がまだすドームです、ここでは館内を一通り見て廻りちかくにある道の駅みずなし本陣ふかえ、に隣接する火砕流による被害を受けた家屋を見て廻りました。
ほとんど埋まってます。
この火砕流では43名の方が亡くなっています、その半数が報道関係の方たちで警察や消防関係の方たちも多くなくなっています。
住民の方たちは避難勧告が出ていたので犠牲者は出ていませんが消防団員などは地元の方たちでした。
本来立ち入り禁止になっていたにもかかわらず報道の方たちが入り込み、住民が避難した後の家屋に入り込んだりしたために警察や消防団が出動せざるを得なくなり災害に巻き込まれたという意見もあるようです。
ここを後にして次に向ったのは島原城です。
場内は撮影禁止なので写真は撮ることが出来ませんでした、続いて城下の武家屋敷に行きました。
ここは3軒が公開されていてそのうちの1軒は修復中だったので2軒だけ見ることが出来ました。
質素な暮らしぶりが窺えました、しかし風呂を備えていたので結構上級武士の住まいだったのではと思われます。
ここを後にして島原名物?の具雑煮を食べて帰路に着くことにしました。
干しシイタケの出汁が効いて美味しかったです。
最初に行ったのは雲仙岳災害記念館がまだすドームです、ここでは館内を一通り見て廻りちかくにある道の駅みずなし本陣ふかえ、に隣接する火砕流による被害を受けた家屋を見て廻りました。
ほとんど埋まってます。
この火砕流では43名の方が亡くなっています、その半数が報道関係の方たちで警察や消防関係の方たちも多くなくなっています。
住民の方たちは避難勧告が出ていたので犠牲者は出ていませんが消防団員などは地元の方たちでした。
本来立ち入り禁止になっていたにもかかわらず報道の方たちが入り込み、住民が避難した後の家屋に入り込んだりしたために警察や消防団が出動せざるを得なくなり災害に巻き込まれたという意見もあるようです。
ここを後にして次に向ったのは島原城です。
場内は撮影禁止なので写真は撮ることが出来ませんでした、続いて城下の武家屋敷に行きました。
ここは3軒が公開されていてそのうちの1軒は修復中だったので2軒だけ見ることが出来ました。
質素な暮らしぶりが窺えました、しかし風呂を備えていたので結構上級武士の住まいだったのではと思われます。
ここを後にして島原名物?の具雑煮を食べて帰路に着くことにしました。
干しシイタケの出汁が効いて美味しかったです。
この記事にコメントする