釣れないほうが多いような釣りの話と
小さな家庭菜園のことを中心に
色々なことを紹介していきます
鹿児島へは往復とも九州自動車道を使用しましたが、宮崎県内で初めての物を見ました。
それはこれです。
そうです、信号機です。
トンネルの長さが6㎞超なのでの事でしょうけど、トンネル内の事故などの告知の信号は見たことが有りますが、このように一般道と同じタイプの信号機は初めてでした。
もちろん写したのはかみさんです、私はしっかりとハンドルを握っていました。
そして 話は変わりますが、宿泊したホテルの事ですが、普通は部屋に入ったら座卓の上に茶菓子とポットが置いてあるものですが、ここのホテルには茶菓子のセットは有りましたがポットがありませんでした。
お茶が飲みたくなったので水を貰おうと思いロビーに電話をしたら、浴室の洗面台から水を汲んでくれるように言われました。
浴室はこんな風になっています。
そうなんです洗面台はトイレのすぐ横にあるんです。
今はこれが当たり前なんでしょうか。
私には考えられない事です。
それはこれです。
そうです、信号機です。
トンネルの長さが6㎞超なのでの事でしょうけど、トンネル内の事故などの告知の信号は見たことが有りますが、このように一般道と同じタイプの信号機は初めてでした。
もちろん写したのはかみさんです、私はしっかりとハンドルを握っていました。
そして 話は変わりますが、宿泊したホテルの事ですが、普通は部屋に入ったら座卓の上に茶菓子とポットが置いてあるものですが、ここのホテルには茶菓子のセットは有りましたがポットがありませんでした。
お茶が飲みたくなったので水を貰おうと思いロビーに電話をしたら、浴室の洗面台から水を汲んでくれるように言われました。
浴室はこんな風になっています。
そうなんです洗面台はトイレのすぐ横にあるんです。
今はこれが当たり前なんでしょうか。
私には考えられない事です。
長崎鼻から霧島神宮ではなく磯庭園に来ました。
正式には仙厳園と云います。
ここは19代当主島津光久によって、借景技法により桜島を築山に、鹿児島湾を池に見立てて造園されました。
春には曲水の宴などが行われていたようです。
裏山の中腹にはこんなものもありました。
こちらは殿様の居間です。
正門です。
これらは大河ドラマの篤姫の撮影にも使われています。
こんな物もありました。
なんとシンプルな大砲でしょう。
殿様の鎧兜です。
写しとありますから復元されたものでしょうね。
このほかにも尚古集成館や薩摩切子なども見ましたが生憎撮影禁止だったので画像がありません。
ただ薩摩切子は製造過程が見学できましたので一枚だけ撮ってきました。
展示品ではこの大きさで3ケタ前後は要っていました。
私もぐい飲みが欲しかったんですが一つ30.000円では手が出ませんでした。
次こそ霧島神宮です。
正式には仙厳園と云います。
ここは19代当主島津光久によって、借景技法により桜島を築山に、鹿児島湾を池に見立てて造園されました。
春には曲水の宴などが行われていたようです。
裏山の中腹にはこんなものもありました。
こちらは殿様の居間です。
正門です。
これらは大河ドラマの篤姫の撮影にも使われています。
こんな物もありました。
なんとシンプルな大砲でしょう。
殿様の鎧兜です。
写しとありますから復元されたものでしょうね。
このほかにも尚古集成館や薩摩切子なども見ましたが生憎撮影禁止だったので画像がありません。
ただ薩摩切子は製造過程が見学できましたので一枚だけ撮ってきました。
展示品ではこの大きさで3ケタ前後は要っていました。
私もぐい飲みが欲しかったんですが一つ30.000円では手が出ませんでした。
次こそ霧島神宮です。
今日は久しぶりのチヌ釣りに行ってきました。
場所は芦屋の三本杭です。
この場所の名前の由来となった杭が一本だけ残っています。
釣り座はこの杭の50mほど先です。
この辺一帯は瀬が低く満潮時は沈んでしまいます、ですから釣りは干潮を挟んで6時間位しかできません。
そしてここはあまり人が入らないので先ずは辛抱強く撒き餌を利かすことです。
今日の最初のアタリは干潮が過ぎて、満ちこみに入って1時間位経ったときでした。
最初はモゾモゾしていたウキがゆっくりと沈んでいき、見えなくなったと同時に道糸をひったくっていくアタリでした。
頭を振って抵抗するチヌの動きですが、良く引くし良く走るので40㎝は超えていると思っていましたが、タモに収まったのは36㎝のメイタでした。
次は追い討ちの撒き餌を打ったとき同時にウキが沈みましたが撒き餌の音にびっくりしたのかエサを放してしまったようです。
そうしている内に撒き餌も無くなり最後の一投になった時にアタリがあり、難なく浮いてきたのは先ほどと同寸のメイタでした。
結果 今日の釣果は36㎝のメイタが2匹でした。
初めての場所で小さいながらも釣果があったので良しとしましょうかね。
場所は芦屋の三本杭です。
この場所の名前の由来となった杭が一本だけ残っています。
釣り座はこの杭の50mほど先です。
この辺一帯は瀬が低く満潮時は沈んでしまいます、ですから釣りは干潮を挟んで6時間位しかできません。
そしてここはあまり人が入らないので先ずは辛抱強く撒き餌を利かすことです。
今日の最初のアタリは干潮が過ぎて、満ちこみに入って1時間位経ったときでした。
最初はモゾモゾしていたウキがゆっくりと沈んでいき、見えなくなったと同時に道糸をひったくっていくアタリでした。
頭を振って抵抗するチヌの動きですが、良く引くし良く走るので40㎝は超えていると思っていましたが、タモに収まったのは36㎝のメイタでした。
次は追い討ちの撒き餌を打ったとき同時にウキが沈みましたが撒き餌の音にびっくりしたのかエサを放してしまったようです。
そうしている内に撒き餌も無くなり最後の一投になった時にアタリがあり、難なく浮いてきたのは先ほどと同寸のメイタでした。
結果 今日の釣果は36㎝のメイタが2匹でした。
初めての場所で小さいながらも釣果があったので良しとしましょうかね。
武家屋敷に続いていったのは、特攻平和会館です。
生憎館内は撮影禁止だったので館内の写真はありません。
これは建物の横にある三角兵舎です。
隊員が寝起きしていた所です
復元? された戦闘機と隊員の銅像です。
こちらはゼロ戦でしょうか?
館内には隊員の写真や遺書などがかなりの数が展示されていました。
その中の数点の遺書を読ませていただきましたが涙が出る思いでした、それに皆さん達筆なんですね。
その中の一点をSAMURAIさんのHPから借りてきましたので読んでください。
相花信夫(少尉 昭和20年5月4日出撃戦死 18歳)
母を慕いて
母上様御元気ですか
永い間本当に有難うございました
我六歳の時より育て下されし母
継母とは言え世の此の種の母にある如き
不祥事は一度たりとてなく
慈しみ育て下されし母
有難い母 尊い母
俺は幸福であった
ついに最後迄「お母さん」と呼ばざりし俺
幾度か思い切って呼ばんとしたが
何と意志薄弱な俺だったろう
母上お許し下さい
さぞ淋しかったでしょう
今こそ大声で呼ばして頂きます
お母さん お母さん お母さんと(ノート二頁に楷書ペン書)
今の18歳はどんな考えを持っているのでしょうか。
生憎館内は撮影禁止だったので館内の写真はありません。
これは建物の横にある三角兵舎です。
隊員が寝起きしていた所です
復元? された戦闘機と隊員の銅像です。
こちらはゼロ戦でしょうか?
館内には隊員の写真や遺書などがかなりの数が展示されていました。
その中の数点の遺書を読ませていただきましたが涙が出る思いでした、それに皆さん達筆なんですね。
その中の一点をSAMURAIさんのHPから借りてきましたので読んでください。
相花信夫(少尉 昭和20年5月4日出撃戦死 18歳)
母を慕いて
母上様御元気ですか
永い間本当に有難うございました
我六歳の時より育て下されし母
継母とは言え世の此の種の母にある如き
不祥事は一度たりとてなく
慈しみ育て下されし母
有難い母 尊い母
俺は幸福であった
ついに最後迄「お母さん」と呼ばざりし俺
幾度か思い切って呼ばんとしたが
何と意志薄弱な俺だったろう
母上お許し下さい
さぞ淋しかったでしょう
今こそ大声で呼ばして頂きます
お母さん お母さん お母さんと(ノート二頁に楷書ペン書)
今の18歳はどんな考えを持っているのでしょうか。
先週末にかみさんと二人で鹿児島に行ってきました。
高速を使って知覧の武家屋敷群まで5時間の行程でした。
ここでは7軒の屋敷の庭園を見学できます。
先ずは腹ごしらえをしてから向った最初の庭園は、森 重堅庭園です。
この屋敷の庭園だけは築山泉水式庭園と行って、池には水が張ってあり大きな鯉が泳いでいました。
次は 佐多 直忠家の庭園です。
ここからはすべて枯山水の庭です
続いて 佐多 美舟家の庭園です。
次は 平山 亮一家の庭園です。
ここは初夏になればサツキの花が一面に咲いて綺麗になります。
あと2軒残っていましたが後の行程の為に残念ながらここまでで終わりです。
この屋敷群の通りも石垣と生垣が素晴らしい景観になっています。
そして多くの屋敷では門を入るとすぐの所に石垣の塀があります。
これは戦の時、敵が容易に屋敷内に入るのを防ぐためと、塀の後ろに隠れて不意を衝くためのものです。
この後知覧特攻平和会館に行きます。
高速を使って知覧の武家屋敷群まで5時間の行程でした。
ここでは7軒の屋敷の庭園を見学できます。
先ずは腹ごしらえをしてから向った最初の庭園は、森 重堅庭園です。
この屋敷の庭園だけは築山泉水式庭園と行って、池には水が張ってあり大きな鯉が泳いでいました。
次は 佐多 直忠家の庭園です。
ここからはすべて枯山水の庭です
続いて 佐多 美舟家の庭園です。
次は 平山 亮一家の庭園です。
ここは初夏になればサツキの花が一面に咲いて綺麗になります。
あと2軒残っていましたが後の行程の為に残念ながらここまでで終わりです。
この屋敷群の通りも石垣と生垣が素晴らしい景観になっています。
そして多くの屋敷では門を入るとすぐの所に石垣の塀があります。
これは戦の時、敵が容易に屋敷内に入るのを防ぐためと、塀の後ろに隠れて不意を衝くためのものです。
この後知覧特攻平和会館に行きます。